凛々
凛ちゃんって、多いよね、最近。
凛って書くだけじゃなくて、色々素敵な漢字をあてがって
私もいつかは子供につけたかった名前だけど、あまりにも多い!10人に1人、りんちゃんじゃないかしら
そんな、凛とした人間について思う
夜勤明けで入れていた予定もなくなり、すごく寂しくなったけど、その時間を映画鑑賞とか読書にあてることにした
色んな人の生き様を物語の中で垣間見たり、感動したり、共感したりしてるうちに、私ってこういう経験の積み重ねとか感性を大切にする「過程」をすっ飛ばしてるなぁって思った
昔から、目立ちたくて、人に注目してて欲しくて、誰かに見てて欲しい気持ちが強かった気がする
だから、何もしていないように見えてもなにか魅力的で、凛とした態度の人か真底羨ましかった
きっとそういう人たちって、自己肯定の強い人たちなんだろな
そして誰にも知られないところで、自分のことを信じて自分の好きなことをちゃんとコツコツやっている人なんだと思う
そういうのにすっごい憧れて、そうなろうと思って私がなれたのは、「あたかも凛とした人に見えるかのような態度をとること」だけだった
良く言っても、器用貧乏
中身は伴わないのに、まるで凛としたような物の言い方、態度をとって、周りに「なりたい自分」であると思わせることには一部成功してきた
それが成功してしまったことによって、本当の自分と乖離してしまい、うつの原因にもなってるんだろうなぁ
私には、自分の好きなことを信じてやり続ける、そういう努力が足りない
いつ何ときでも、「見られる自分」を最優先に意識してしまっている
もうそういう生い立ちなんだろうと思うけど、これが日々感じる虚しさと過度な依存心の原因なんだろなぁ
ただ、悪いことばかりではないと気づけるようになったのが、さすがアラサー
前回も書いたみたいに、私は比較的笑顔が多い人間だと思う
きっと、この「本当はちっぽけで大した努力もしていない自分」を隠すために得た技が笑顔なんだと思うんだけど
予期しなかった方向に働いてくれていると思う。この笑顔とか、人と対峙する時の態度への細心の注意とかが、私の対人関係を構築してきてくれていると思う
どう思われるのかが怖くてどうにかしなくてはって思う自分だから、人への態度を客観視して自分の態度を変容させることが出来る
そういう努力はしているって胸を張って言える
私は少しずつ、「自分の為」、そして「自分の責任」に重きを置いて、自信を持って行くように変わっていけると思う
そうする事で、私の優柔不断な部分も無くなって行く。そして残念なことに、柔らかい部分もきっと気付かないうちになくなる
どんな自分になっても、良いところも悪いところもどっちもある
それらを認めて、悪いところも良いところも同じぐらい反省したり評価出来るように、等身大を認められるようになることで、自ずと滲み出るのが「凛」とした何かなのだろうなぁ